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「Daffodils 水仙」 William  Wordsworth(1770〜1850)
フランスの詩なのに英語の題名が出てきたところで、イギリスの詩というよりはLake Districtの詩人を紹介しましょう。英文ですから原文のまま味わっていただきたいのですが、私とて何度か辞書をめくらなければなりませんでした。そこで、右側に注釈を加えました。 富永 哲三
I wandered lonely as a Cloud
That floats on high oユer Vales and Hills,
When all at once I saw a crowd,
A host of golden daffodils;
Beside the lake, beneath the trees,
Fluttering and dancing in the breeze.

Continuous as the stars that shine
And twinkle on the milky way,
They stretched in never-ending line
Along the margin of a bay.
Ten thousand saw I at a glance,
Tossing their heads in sprightly dance.

The waves beside them danced, but they
Out-did the sparkling waves in glee:-
A poet could not but be gay
In such a jocund company:
I gazed-and gazed-but little thought
What wealth the show to me had brought:

For oft on my couch I lie
In vacant or in pensive mood,
They flash upon that inward eye
Which is the bliss of solitude,
And then my heart with pleasure fills,
And dances with the Daffodils.
私は一筋の雲のように一人さ迷い歩いた
谷や丘のかなた高く浮かぶ
すると群れを発見した
金色のすいせんの群れ
湖のほとり、木立ちの下
風になびき踊っている

輝く星のように絶え間なく
銀河の上に光る
それは際限なく広がる
入り江の岸辺に
一目、一万とも見えた
陽気な踊りに頭を揺らせながら

彼等のきわの波も踊る、しかし彼等は
喜びに満ちて輝く波にまさる
詩人は陽気にならざるをえない
そのような陽気な仲間の中では
私は繰り返しみつめたが、少しく想いは
この景色のもたらす価値とはいったい!

しばし長椅子に横たわる
うつろで沈みこんだ気分に
彼等は心の目に輝き照らす
それは孤独の至福
そして私の心は喜びに満たされ
水仙と共に踊る
水仙(daffodil)はnarcisussとも綴られますが、こちらはギリシャ神話のNarcisussから来ています。湖に写った自分の姿に恋焦がれて水死し、水仙の花になったという美少年です。この水仙(daffodils)の詩は、確か高校1年の時、英語のReaderの最初に出ていたと思ったのですが、Echo and Narcisussという神話 も同じく高校のテキストにありました。
余談ですが、「ギリシャ文明の発展は、神をも揶揄(やゆ)する精神風土にあった」とする思想史の見解があります。思想史の上では、絶対的な権威への忠誠は、決して文化的な発展に寄与しないというのでしょう。
私の的を得ない注釈ではこの詩のすばらしさが損なわれる恐れがあります。英語の素養がある人は、原文で味わっていただくの一番良いのですが、先人の中には本当に訳文学といわれるものを超える名訳があります。田部重治さんの訳でお楽しみください。


田部重治訳
谷また丘のうえ高く漂う雲のごと、
われひとりさ迷い行けば、
折りしも見出でたる一群の
黄金(こがね)色に輝く水仙の花、
湖のほとり、木立の下に、
微風に翻りつつ、はた、踊りつつ。

天の河(あまのがわ)に輝やきまたたく
星のごとくに打ちつづき、
彼らは入江の岸に沿うて、
はてしなき一列となりてのびぬ。
一目にはいる百千(ももち)の花は、
たのしげなる踊りに頭をふる。

ほとりなる波は踊れど、
嬉しさは花こそまされ。
かくも快よき仲間の間には、
詩人(うたびと)の心も自ら浮き立つ。
われ飽かず見入りぬ   されど、
そはわれに富をもたらせしことには気付かざりし。

心うつろに、或いは物思いに沈みて、
われ長椅子に横たわるとき、
独り居(ひとりい)の喜びなる胸の内に、
水仙の花、しばしば、ひらめく。
わが心は喜びに満ちあふれ、
水仙とともに踊る。

 翻訳文学といえば上田敏さんを思い出しますが、「サアディのバラ」の斉藤磯雄さんの訳もすばらしかった。田部さんのこの訳もまたすごいと思います。
 さて、開発に反対したWordsworthのことは、中村良夫先生(東京工大名誉教授、1938年生〜)の『風景学入門』で知りました。一昨年、日本造園学会北海道支部では「北海道の風景のありようを考える」というテーマで、中村先生に基調講演(景観デザインの最前線)をお願いしました。その関係もあって、先生の著作を拝読することになり、私も『風景学入門』とその続編を求めました。この冒頭にワーズワースのことが書かれていますが、含蓄に富む内容で、到底私の浅学では理解の域を越えるものがあります。少しだけ気になったところを引用してみましょう。
 「わたしがこの古典的な山水(湖水地方のこと)を見ておこうとしたのは、近代風景思想の源流の一つをそこに探りたかったからである。これと姉妹関係にあるもう一つの源流は、いうまでもなく、ルソーやゲーテが活躍する舞台となったヨーロッパ・アルプスの山麓である。
 ところで、文学史家の論ずるところをわたし流に要約すると、浪漫的風景観を涵養しているいっそう深い伏流が二つある。その一つは、十八世紀に翻訳されて初めて人びとに知れわたったケルト叙事詩『オシアン』に描き出されている、荒寥として崇高な自然の世界、ときには哀愁をおびた相貌で人を圧倒する、幽鬼じみた、尋常ならざる自然美の世界である。もう一つは、古代ギリシア叙事詩いらいずっとつづいてきた、絵のように明るく甘美な田園詩(パストラール)に描かれる、懐かしい人里の風景である。つまり『オシアン』というキリスト教渡来以前の土着の自然思想があらためて人びとに知られ、その衝撃が、伝統的な田園詩の映像に新しい空間的拡がりと豊かな色彩をほどこすことになった。自然美に対する開眼と精神の浪漫的飛翔への契機を与えたのは前者であり、これが浪漫的風景論の通念的性格を決定づけているのである。けれども、依然として甘美な田園詩の風景描写と詩情の伝統も保たれている。したがって、一口に「自然詩人」といっても、人里はなれた自然ばかりを詠んでいたわけではないことに注意したい。」
 先の、ヴァルモアやロンサールでギリシャ・ローマの芸術文化がどのように伝播していったのか、その一端を垣間見ることがありましたが、ここではその潮流が地域の文化と融合して発展していく様が読み取れるような気がします。我が国ではどうであったのか、今どうなのか、あるいは北海道ではと次々に想いがよぎります。
 中村先生は、日本における当初の高速道路建設に関わる調査研究に携わられていましたが、建設に伴う風景、景観の豹変に心を痛めたと述懐されています。あらためて風景学入門を読んでみると、風景学の奥の深さに驚くとともに、氏の芸術・文化・歴史的見地からの洞察に感銘を覚えます。Wordsworthの「Daffodils」には、そのように現代まで息づく自然への畏敬というか喜びを伝える精神が込められているようです。
 長くなりました。次回お届けできるのは、恵庭での造園学会北海道支部大会終了後になりそうです。「夏は死んだ」と苦吟するボードレールか「ヴィオロンのため息」のヴェルレーヌか、二人の「秋の歌」には花こそ見えませんが、「さらば夏の生き生きとした日々」(ボードレール)、「ここかしこ定めなくとびちらふ落ち葉かな」(ヴェルレーヌ)と冬に向けた心を歌い上げています。
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